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2009年08月07日

Raffaello Sanzio ラファエロ・サンツィオ


8月6日、広島平和記念日として
広く知られているかもしれない。が・・・

しかし、今回はワタシが愛してやまない、
盛期ルネサンス三大巨匠の一人
Raffaello Sanzioを書きたい。


8月6日、イタリアでは「主の変容の祝日」となっている。
新約聖書、マタイ・マルコ・ルカの福音書に記されている物語。


イエスが弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴い高い山に登った。
(ペトロは12人いる弟子のなかのリーダー的存在で、
初代ローマ教皇にあたる。ペトロの墓があったとされる場所に
ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂が建っている)

彼等の目の前でイエスの姿が変わり、顔は日のように輝き、
衣は光のように白くなった。
そこへモーセ、エリアが現れ、来たるべき受難について語り合った。

モーセは「十戒」でよく知られた、神が約束したカナンの地へ
イスラエルの民を導いた指導者。エリヤはイスラエル初期の預言者。



西洋絵画の古典として、後世の画家に多大な影響を与えた
ラファエロ・サンツィオにも、その物語を題材にした作品がある。


イエスが神の子であることを、天の声より告げられ
地上にひれ伏す弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)と
悪魔に取り憑かれた少年を、弟子達には治すことができず、
イエスがあらわれ、悪魔を追い払い治癒したという、
物語の場面を上下2場面構成となっている。

上部は光り輝くイエスを繊細優美で神秘的に描き
下部の弟子達を激しい感情のうねりとした群像で描き
静と動、明と暗の対比による構図で表現している。
やがて来るべきバロック様式への挑みのようにも感じる。

1518~1520 
Trasfigurazione キリストの変容

Raffaello Sanzio ラファエロ・サンツィオ

イタリア中部のウルビーノ生まれ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ
盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。
聖母の画家としての異名を持つ、聖母マリアと
幼子イエスを描いた作品が特に有名。

詩人画家の父から絵の手ほどきを受け、父の死後17歳頃に
ウンブリア州ペルージアに出て、ピエトロ・ペルジーノに師事した。

その後21歳の若さで独立、フィレンツェにやってきたラファエロ。
そのときダ・ヴィンチは29歳、ミケランジェロは52歳。
フィレンツェでの4年間はフィレンツェ派画家たちの影響を受け
聖母子像や肖像画が多く描かれた。

ペルージアでの修行時代から画家としての才能は飛び抜けており、
フィレンツェでの有意義な滞在を送った後、教皇ユリウス2世から
ローマに呼ばれ、25歳から死去する37歳まで
ヴァティカンの宮廷画家として栄華を極めて行くことになる。

ローマでの代表作は、ヴァティカーノ宮において、
天井画をはじめ多くの壁画を制作する。

ヴァティカン美術館の「署名の間 アテネの学堂」などは
システィーナ礼拝堂に次ぐ見所のひとつになっている。
上記の「キリストの変容」もピナコテカ(絵画館)に収蔵されている。

その後、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命、
ローマ古物監督責任者に推挙されるなど、
芸術家としては異例の富と権力を手にしたが、
1520年、誕生日でもある4月6日、37歳の若さで亡くなった。

「Trasfigurazione キリストの変容」は遺作となる。

ダン・ブラウン著「天使と悪魔」のなかでも登場したが、
古代ローマの神殿、パンテオンに墓がある。







  



2009年07月31日

Pizzeria Pomodorino Rome


最近沖縄でも、美味しいPizzaが食べられる
石釜を備えたお店が増えてきている。

業務用の焼き釜が沖縄でも
手に入り易くなってきたこともあるのだろう。


本場で食べる料理が一番美味しい。
とは、よく聞く言葉だが、
「イタリアに行ったことがある。」と言うと
十中八九、返ってくる質問が
「やっぱり、パスタやピッツァは、日本よりも美味しいのか?」

正直な答えとしては、当たり前のようだが、
美味しい店もあれば、そうでもない店もある。

「沖縄県内で食べる、全ての沖縄そばが美味しいか?」
と聞かれたら、自信を持ってYesと答えられるだろうか・・


前置きが長くなったが、Romeで食べたココのピッツァは
ホントに美味しかった。

残念ながら、Napoliには行ったことがないので、
本当のナポリピッツァの味を知らない。
日本にある本場Napoletanoのお店の味しか知らない。

Napoliを見ずして死ぬことは出来ないが、チョット恐いでもあるナ。

取りあえず、現在ワタシの暫定一位はRomeのコレ。


Vittorio Venetoヴィットリオ・ヴェネト通りを
ボルゲーゼ公園に向かい、ブラジーレ広場の手前、
Corso d'Italiaイタリア通りと沿って走る
Via Campaniaカンパニア通り沿いにある。
マリオット グランド・フローラ ホテルから程近く、2ブロック先になる。

同じ“通り”がViaだったりCorsoだったりするのは
大きい通りか、小さいかの違い。

(Via Lombardia)

Sofitel Rome ソフィテル ローマに宿泊した時に
ホテルスタッフに、「あの店のピッツァはウマイ」と教えてもらった。

ホテル前のVia Lombardiaロンバルディア通りをまっすぐ進み、
ヴェネト通りを横切り2本目のVia Toscanaトスカーナ通り
まで出たら、左折して2つ目のカドにある。分かり易い。



店内は広く、中央のショーケースには様々なアンティパストが
並べられ、ピッツァを焼く釜、プロシュットをカッティングするコーナー、
ドルチェを盛り付けるコーナーなど、
皆の仕事ぶりを見ているだけでも楽しい。





メニューは沢山あって、どれも美味しそうで決めきれない。
ホテルスタッフのオススメどおり、ココはピッツァにしておこう。

前菜盛り合わせは、ショーケースの中から好きなモノをチョイスできる。
みんな美味しそうで迷う・・具沢山のキッシュ、グリルしたトマト、
野菜や小魚のマリネ等々、二人でシェアして頂くことに。



オーダーは、本日の季節のオススメをひとつ。
季節は秋だったので、ポルチーニとプロシュットのピッツァ

もうひとつは、担当のお兄さんに「貴方のオススメは?」
と聞くと、「コレがイイんじゃないか」とモッツァレッラ、
トマト、ルッコラのピッツァをすすめてくれた。

ワインを飲んで、前菜を食べながら待つことしばし・・


運ばれてきたPizzaは見るからにウマそう!

イタリアでは1人で1枚を食べるのが常識。
しかもサイズもデカイ。
カットされているモノを手で摘まんで食べるのではなく
ナイフとフォークを使うのが一般的。
手で食べるのは行儀が悪い人に見られる。

定員さんオススメのピッツァは素晴らしい!ワタシ好みだ!
素材を後乗せしているので、新鮮な食べ応えがある。
モッツァレラのスゴイこと!ルッコラもたっぷり!



しなやかでありながら、粘りのある生地を
ナイフとフォークでギシギシやりながら、オリーブオイルと
バルサミコをかけて、ひたすら口に放り込む。

新鮮なモッツァレラは臭いも無く弾力が良い、
日本で食べるルッコラよりも歯応えも風味も断然力強い。
少し甘味のあるトマトの酸味と、バルサミコの奥深い芳しい酸味、
程良い苦みと、フルーティーで若草の香りのような
オリーブオイルの油分が、それらを包含しながら
ワタシの口腔内の味蕾を刺激し喉元を落ちてゆく・・・!

ウザい・・・。チカラ入り過ぎ。



もちろん、コレだけでオナカいっぱいになってしまった。
ドルチェも食べたかったが、本場イタリアのドルチェを
甘く見ていると痛い目に会うので断念した。

お会計は忘れてしまったが、地元料金で安かったことだけは
覚えている。ちょっと歩いた大通りにある、観光客向けの
お店に入ったならば1.5倍以上の金額は取られたに違いない。


こんなPizzeria何処かにないかなぁ。。









  



2008年12月24日

Puccini 生誕150周年


偉大なる作曲家  Giacomo  Puccini ジャコモ・プッチーニ
の生誕150周年である。日付は変わってしまったが・・

本日のNHK BS-hi 特別番組 「まるごとプッチーニ 3部作」は
非常に良かった。朝から夜遅くまで、外出もままならないホドだったが・・
「Tosca」
「Gianni Schicchi」
「La Boheme」
そして
「Turandot」




今日はオペラ漬けの幸せな一日だった・・
TuscanaのLucca生まれ
ということもあり、なおさら好きになる。

ACT4」の10月号でもPuccini特集が組まれていた。
Pucciniの軌跡を追ってLuccaをはじめ
Tuscanaの田園風景を旅したい・・とても・・!

でも、第2のイタリア国歌ともいえるVerdiの
「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」
Va, pensiero, sull'ali dorate
(いいタイトルを付けたものだ)
は自分を励ます応援歌ともいえよう。








 

  



2008年11月15日

FIRENZEのディナー リストランテ IL PROFETA

PCの液晶の不具合で、しばらく修理に出していた。
が、最近何かと忙しい・・

10月~12月頃になると、何故かITALIAが恋しくなる季節。
先日、パレットりうぼうではイタリアフェアが催されていた。
無意識のうちに会場に足を運んでいたが、
今回は特に買い物はしなかった。

1階広場でミニ・アリアコンサートを行っていた。
しばし、聞き入る事ができただけで十分。


今回はFIRENZEでディナーしたお店。

宿泊したWESTIN Excelsiorから程近く。
オニサンティ通りをプラート門向けに少し歩くと道沿いに。

RISTORANTE  IL Profeta

少し早い時間だったので、お客さんは少ない。
通り沿いにあるので、観光客が中心のようだが
地元の人達も食べに来そうなカンジ。



前菜は生ハム。ハウスワインをカラフェで。
生ハム好きの奥様、美味い美味いと大喜び

Primoは、旬のポルチーニの手打ちパスタ
CHIANTIのワインリゾット

兎にも角にも、ウマイ!ラザーニャのような、だだっ広いパスタと
ポルチーニ茸タップリの満足感。CHIANTIの程よいタンニンと
酸味が効いて、とっても香りとコクのあるリゾット。
2人とも夢中で食べてた・・両方とも丼ぶりで食べたい・・




Secondは牛肉のタリアータ。
昼間にBisteccaを食べていたので、夜はコチラで。
しかし、コレも美味かった。炭焼きのいい香り、
柔らかく、薄切りとはいえ肉厚!
下に敷いてあるルッコラに、バルサミコと肉汁を絡めて・・
毎回思うが、ITALIAで食べるルッコラは断然美味しい!


Dolceはワゴンサービスしてくれたが、軽めのモノをチョイスしたつもり。
が、なかなかどーして重い・・というか甘い・・最後がキツイ・・

この頃には、観光客・地元の方たちなど、お客さんでだいぶ賑わっていた。
お会計は90€しない程度だったので、満足したし良心的ではないのかな。

RISTORANTE  IL Profeta
Borgo Ognissanti












 

 
  


2008年10月24日

Assisi 聖フランチェスコ


最近、食べある記ばかりになってしまっており、
我ながら飽き足りない気分の、今日この頃。

反省を含め、今回は気合を入れて、記事を書く。



ITALIA、しかもカトリックにとって10月は
大切な出来事がある。お祭りやイベントが
あるわけではないが、10月4日の祝日は
聖フランチェスコの日になっている。



イタリア半島のほぼ中央、UMBRIA州Perugiaから程近い
スバシオ山の麓に細長く広がる人口25000人程度の小さな街。

アッシジのフランチェスコ Giovanni di Bernardone
は12世紀後半、この街に生まれた。
中世イタリアにおける最も著名な聖人の一人、
Sienaのカタリナと共にイタリアの守護聖人のひとり。

フランチェスコとは「フランス風」と言う意味で、フランスびいきの
裕福な商人の父親によるものとされている。

10代の頃はかなりの放蕩生活を送り、騎士を夢見て
軍隊に入るが、捕虜になり重い熱病などで、挫折と
苦しみを味わい、信仰に目覚めることになる。



「イタリアの歓び 美の巡礼」 新潮社
何とも素晴らしいタイトルの書物。
フランチェスコのページからいくつか抜粋。


異端の修道士

彼がアッシジで生まれた頃、ヨーロッパは暗く冷たい
冬の時代だった。富み栄えるのは教会ばかり、民は飢え
堕落しきった修道士を憎んだ。各地で人々の怒りが
暴発するごとに、法王庁は「異端者」として焼き殺した。

フランチェスコも「異端者」だった。聖職者と俗人に
貴賎の差はなく、教会の金儲けは悪い事と考えていた。

裸足で、頭巾の付いた野良着を纏い、腰には荒縄を巻いた。
その異様ななりに人々は狂人扱いし、あざけった。
しかし、あわれな貧者は挫けず、時には歌と踊りをを披露し、
お世辞にも上手な説教ともいえず、言葉に詰まりながらも
懸命に語りかけた。今まではラテン語で説教されるので
チンプンカンプンだった教えを、彼はイタリア語を使い話しかけた。

彼が死を迎える前年につくった「太陽をたたえる歌」は
イタリア語による最古の詩といわれている。

「あの修道士はいいな。」懸命に語りかける姿に、
貧しさにあえぐ人々の心を明るくし、寄付をする者、弟子を
申し出る者もあらわれ、後にイタリアから周辺各地に
教えは広がっていった。各地に建てられたフランチェスコ会の聖堂は、
高価なモザイクで飾ることなく、質素なフレスコ画をもちいた。

ジョットをはじめ、イタリア美術史を華やかに彩る、
ルネサンスの大画家達のフレスコ壁画の伝統は
フランチェスコ会の聖堂で育まれ、教会のくびきを解かれた
彼らによって、ルネサンスは幕をあけた。


アッシジ郊外の礼拝堂ポルツィウンコラ(ささやかな土地の意)
に粗末な小屋を建て、「従順・清貧・貞潔」3つを戒律とし、
弟子と共同生活をはじめ、各地を放浪する。

フランチェスコを知った人々は、もはや尊大な聖職者を
信じない。清貧な暮らしが民心の心をとらえたのは
自然な成り行きで、入会者があとを絶たず、その勢いを
無視できなくなった、ローマ教皇インノケンティウス3世は
幹部の反対を押し切り1209年会を認可した。

故郷の自然を愛し、その恵みを神に感謝していたフランチェスコ。
彼の人柄を物語るエピソードに「小鳥への説法」がある。

「お前たちも神様に感謝しなければいけないよ。」
小鳥たちにやさしく話しかけるフランチェスコに、鳥たちは
彼の説法が終わるまでおとなしく耳を傾けていた。

その場面を描いた作品はジョットをはじめ
多くの画家が残している。

Giotto di Bondone  1296~99頃

幼い頃から体が弱く、修道院での断食や粗食、
地面に藁を敷いただけの寝床も苦行のようなもので、
十字軍に同行した長旅ではさらに衰弱させ、
眼は失明寸前、吐血する事も度々で、
40歳にしてすでに、老残の姿だった。

1224年、ラ・ヴェルナ山に引き篭もりひとり祈る。
フランチェスコは気を失い倒れ、目覚めると
両手のひら、両足の甲に釘で打たれた痕があった。
右の脇腹には槍傷があり、血も流れ出していた。
磔刑のキリストと同じ、聖痕(スティグマ)といわれる。
しかし、彼は布を巻き傷を隠した。
弟子たちも手足の傷は気づいていたが、
脇腹の傷は彼の死後分かったものだった。



傷はひどく痛み、なかなか治らず、
フランチェスコは死を覚悟する。
「帰ろう、懐かしいあの場所、私たちのふるさとへ。」

石積みの10坪にも満たない小さな小屋、
ポルコツィウンコラ礼拝堂で、最期の時を迎える。
弟子たちに歌を歌わせ自らも和し、1226年10月3日から
4日未明にかけアッシジの聖者が息をひきとる。

天空では、彼が好きだった雲雀が
ずっと啼きつづけていた。





 






 






 

  


2008年08月18日

FIRENZEのホテル WESTIN EXCELSIOR

うちなー婿としては、お盆の前後は忙しかった・・

最近の記事が、沖縄食べある記になっている。

お花好きの我が家がよく見ている本に、こんな嬉しい特集があった。
またしても、行きたい症候群がはじまり・・
そこで、FIRENZEに泊まったホテルのお話を・・・


WESTIN EXCELSIOR FIRENZE

米系高級ホテルグループのひとつ
アルノ川沿いOgnissanti広場にあり、S.M.N.駅やDuomo、
Ponte Vecchioにも10分程度の立地も良いホテル。


天井の高い広々としたロビー。
洒落たBGMが流れていたのは、イタリアらしくない。

部屋は最上階、Ognissanti広場とアルノ川を見下ろす、広いバルコニー付き。


バスルームは優雅で広い。バスタブとシャワーブースは別々にあり
バスローブ・タオルの肌触り、厚さ、重量感が高級を物語っている。


枕元にはチョコレート、ターンダウンのサーヴィスもある。
近代的な建物にはこんな無駄なスペースは無い、
ホテルの階段部分を見るのが好き。建物ごとにアジがある・・


部屋から見下ろすOgnissanti教会の広場が気持ちイイ。
FIRENZEの黄金期、当主ロレンツォ豪華王が認めた
メディチ家筆頭画家 Sandro botticelliが
この教会に眠っている。
朝夕の鐘の音がITALIAにいることを実感する。

Nascita di Venere    1484’頃





朝食は品数も豊富で静か、気持ちいいのひと言。
温かいものは温かく、冷たいものは冷たく。
あたり前のようだけれど、そうじゃない所が結構多い。
ただしジュースは常温。ヨーロッパではコレがあたり前。



WESTIN自慢のヘヴンリーベッドも確かに気持ち良く、
立地も良いので、便利で楽しい滞在ができた。
その代わり多少割高だったけど、また泊まりたい。
いや、次はLUNGARNOとIL BORROのヴィラに泊まってみたい・・





 














 





 




 

  


2008年07月17日

FIRENZEでランチ トラットリアSostanza



昨年末FIRENZEへ行った時に入った美味しいお店。

泊りはちょっと贅沢して、WESTINE EXCELSIOR。
シーズンをハズしていたので、最上階部の眺めのいい部屋にしてくれた。
お店はホテル横のオニサンティ通りをコルソ通りへ、
S.M.N.薬局に向かうように真っ直ぐのびた路地のような道にある。

TORATTORIA Sostanza

お昼のピークをちょっと過ぎたくらいだったので、地元のお客さんで一杯。


なんとか、奥の大きめのテーブルに席を用意してもらい、
地元の方たちにジロジロ見られながらの相席で入店する。

 


奥さまはそれ程沢山は食べれないとの事なので、
おススメの本日のスープを。
Firenzeに向かうユーロスターの中で、
パニーニをパクついていたからだ・・・

TOSCANAらしい、ヒヨコ豆のスープ。


BISTECCA(ビステッカ)はどうだ?と勧めるが、
昼から肉の塊はキツイのでPRIMOにすることにした。


自家製のトルテローニがおススメというので、
メニューを見ればチンギアーレ(猪肉)のトルテローニがあるじゃないか!
迷うことなく「コレにする!」と、お兄さんは笑顔で「OK!」




周りを見渡すと、皆ビステッカを食べているようだ・・
「日本人は何て小食なんだ!?」と思われたに違いない・・


スープは具だくさんで美味しい。
パンもTOSCANAらしく固くてちょっと
パサついてて、いい感じでウマい。


もちろんTortelloniは美味しい。いい味だ。


デザートも食べると言うと、「チョコクッキーのケーキはどう?」
と言うので「じゃ、それで」と。


がしかし、ご多聞にもれずチョー甘々のメレンゲケーキで、
気の利いたこの大きさが憎い・・


 

向い側の席に初老のおじさんが一人相席してきた。

ワインと本日のスープに、BISTECCA alla Fiorentina を注文。


お皿からハミ出し気味で、骨付きとはいえ300g以上はある大きさ。
デキャンタワインを飲みながら、気が付けばきれいに平らげていた。
おそるべし・・・



 








 

 
  


2008年06月03日

Musei Vaticani ヴァチカン美術館

ローマに訪れたなら必ず行くであろう、ヴァチカン市国。
総面積4万2000㎡のイタリアはおろか、世界屈指の美の殿堂。

歴代ローマ教皇の膨大なコレクションが集められた
ヴァチカン宮殿内多くの部分を占める美術館。

500年に及ぶ歴史はいくつもの美術館が拡大され、
美術館・博物館・ギャラリーなどの複合体になった。
よって、イタリア語でも、Museiと複数形の表記になっている。
展示コースの全長は約7Kmにおよび、1日ですべてを見ることは不可能。

館内に入ると、展示コースのサンプルが表示してある。90分・3時間など、
お好みに合わせてどうぞ、といったかんじ。





 





サンピエトロ広場を左手に壁に沿って歩く。スイス衛兵隊本部を横目に、
広大なヴァチカン宮殿の外側をグル~っと周る感じ。

通常見学は月~土曜まで。しかし毎月最終日曜だけは見学できる。
しかも、入場無料! タイミングさえ合えば、コレを見逃す手はない!
しかし、閉館時間もいつもより早いので要注意。




ただでさえ常に行列状態なのに、こうなるとさらに
行列していることは必至!並ぶ時間も考慮して、
早めに行きたかったが、予定より少し時間が押してしまった。



並ぶこと1時間ほど、閉館時間も気になるが、なんとか滑り込み成功。
ひとつひとつじっくり見る時間は、あまり残されていない。
全体の地図を頭に浮かべながら、急ぎ足気味で進んでいく。
このままのペースで進んで、システィーナ礼拝堂までたどり着き、
ゆっくり拝めることができるか?が気がかりになる。



長~い・・タペストリーのギャラリー・地図のギャラリーを歩いてると、
通路幅は狭いのに、果てしなく先の方まで人が歩いていて
酸欠状態の気分になってくる・・すごく美しい通路なんだけど・・・



ピーニャの中庭

ブロンズ製の巨大なピーニャ(松かさ)が飾られている。
古代ローマ時代から、松かさは繁栄のシンボルとして扱われ、
現在でも幸せを運ぶ、縁起の良いモノとされているらしい。
向かい側には中庭が広がり、
遠くにはサンピエトロ大聖堂のクーポラが見える。



気が付くと外は雨降り・・
しばし休憩を兼ねカフェコーナーで食事をする事に

この写真などを見るだけでは、とてつもなく広い美術館に見えないだろうが、
カフェで休憩する頃にはかなりグッタリ気味だったのだ。

ピオ・クレモンティーノ美術館・キアラモンティ美術館は
古代ギリシャ・ローマ時代の見応えある古代彫刻が目白押し。
かのミケランジェロや多くの芸術家に影響を与えた作品もある。
「ラオコーン」は代表的な作品のひとつ。

ピナコテカ絵画館には、L.ダ・ヴィンチ F.アンジェリコ F.リッピ
ラファエロS. カラヴァッチョと必見の大作がある。

そして宮殿屈指の芸術作品、ラファエロS.の「署名の間」に
「聖体の論議」「アテネの学堂」など4つのフラスコ壁画が。


そして最後、最高のクライマックスはシスティーナ礼拝堂だ。
ミケランジェロB.作の新約聖書「最後の審判」を描いた壁画と
旧約聖書の「創世記」を描いた天井画。
資料より↓ 


サラッと簡単に数行書くだけではすまない作品なので、
また今度詳しく紹介しなければいけない。

窓が少なく、少し薄暗い礼拝堂には結構な見学者の密度。
係員はひたすら「写真撮るなぁ~」を連発。

クライマックスは最後に取って置きたいものだが、
ココまで来るのにかなりのエネルギーを要する・・・
ゆっくり休みながら鑑賞するべき。

美術館内には、ヴァチカン市国の郵便局もあるので、
葉書きや切手をお土産に買うのもイイかもしれない。

出口に向かう螺旋階段↑
 




 




 



  


2008年05月24日

Gian Lorenzo Bernini ベルニーニ

ローマに訪れる観光客がどれほど知っているだろうか。




ヴァチカン・サンピエトロ寺院。 寺院前の広場の巨大な320本の列柱、
寺院内中央のブロンズ製の巨大なバルダッキオ(天蓋)。
サンタンジェロ城の聖天使像、ナヴォーナ広場の四大河の噴水
ムーア人の噴水にバルベリーニ広場のトリトーネの泉。



写真やガイドブックでも何度も目にしているはずだ。


しかし、これらの作品が一人の芸術家によって造られたことを、
どれだけの人が知っているだろうか。

「ベルニーニはローマの為にある」 「ベルニーニはローマの演出家である」とは
よく言われている言葉である。

しかし、ある時のローマ法王に

「ベルニーニはローマのためにあるのではない、
ローマがベルニーニのためにあるのだ」と言わしめたほどである。


ダン・ブラウン著「天使と悪魔」のベストセラーによって、
また「ダ・ヴィンチ・コード」のようなブームが起きるのだろうか。
一時のブームで注目されるのはあまり嬉しいとは言えないな。


Giovanni Lorenzo Bernini 
ジォヴァンニ・ロレンツォ・ベルニーニ 1598~1680年

高名な彫刻家の子としてナポリに生まれる。8歳の頃家族とともに
ローマに移り、フィレンツェ出身でもあった父は同郷の貴族
ボルゲーゼ家からの依頼を受けるようになる。

ボルゲーゼ家出身の教皇パウロス5世はベルニーニの才能を見い出し、
ヴァチカンや自らの館に自由に出入りすことを許可し、
多くの芸術に触れさせることで才能を開花させた。

研究ではミケランジェロに影響を受けたとされているが、
ミケランジェロとは違い躍動の美、大胆で劇的な表現力がある。
また大理石をロウのように使いこなす技で、
柔らかな生身の肉体を感じる感情表現もある。

ローマを代表する美術館、ボルゲーゼ美術館には
幾つもの代表作が所蔵されている。
いずれも大理石から作られているとは思えぬ、息を呑む作品である。



・プロセルピナの略奪
・アポロンとダフネ
・ダヴィデ
そして、San Francesco a Ripa教会の
福者ルドヴィカ・アルベルトーニ




サンタンジェロ城にかかる橋にたたずむ聖天使ミカエル像、
当時70歳だったベルニーニは製作総指揮を執り、うち2体は自らが製作した。
完成した天使像を見た依頼主の教皇クレメンス9世は、あまりの素晴らしさに
風雨に晒されるには忍びないとして、コピーを作り置いた。


そんなベルニーニの真髄、バロック彫刻の最高傑作ともいえる作品が
Santa Maria della Vittoria教会にある

「Estasi di Santa Teresa 聖テレジアの法悦」 1645~1650頃



1515~1582年 スペインのローマ・カトリック教会カルメル修道院の
修道女から聖人にまで列せられた教会博士といわれる女性。
スペイン各地を巡り、幾つもの修道院を創設した。シエナの守護聖人であり
ローマの第2守護聖人でもある(シエナの)聖カタリナ同様、神との奇跡の交信を
体験した人物といわれ、最初の女性教会博士として列聖された聖テレジア。


幻の中で見た神による天使に、心臓を火の矢で射抜かれ
激しい痛みと神の愛に恍惚となり、身を委ねているさまである。

教会内のコルナーロ礼拝堂の祭壇奥の高い位置にある。
天使とともに浮遊していくような上空からの柔らかな光が降り注ぐ。

教会と礼拝堂はさほど大きなものではないが、
目を奪われる装飾と色使いに満ち溢れている。


しかし、こんな素晴らしい教会をダン・ブラウンはあんな目に遭わせるとは許せん!


ベルニーニの生涯はローマ教皇とともにあった。歴代8人の教皇に仕え
数多くの仕事を任され、のちにローマを造った芸術家と呼ばれることとなる。


ローマに行くならば、ベルニーニのためのローマに行くならば、時を経てなお
風雨に晒されながらも圧倒的な存在で佇む、彼の足跡をぜひとも巡るべきだろう。

















  


2008年05月18日

ROMEのホテル GRAND HOTEL PALACE



最近めっきり、ITALIAの話題にふれていない。
という事で、急にROMEのホテルについて記事を書く。

パレス・ア・ボスコロ・ファースト・クラス
Palace A Boscolo First Class

グランド・ホテル・パレスと紹介されていたりもする。
建物に付いている表示も同様だけど、ボスコロ・ホテルズに
加わっても、未だそのままになっているようだ。

Via Vittorio Veneto ヴェネト通りにあり、ロケーションが良く
テルミニ駅からも徒歩圏内。REPUBBLICA(レプッブリカ)広場や
BARBERINI(バルベリーニ)広場の近くで、立地の良いホテル。



ココに泊まりたかった。という事ではなく、仕方なくココにした。
個人旅行なので、いくつかのホテルに問い合わせたが、目ぼしい所は
すべて一杯だった・・・ので、あまり期待はしなかった。

ROME滞在を快適に過ごす、幾つもの条件を満たした
文句なしのホテルを確保するのは、至難のワザではないかな。
何かしら一長一短があるハズだ。

ヴェネト通りの雰囲気が好きというのと、午前中には
Santa Maria della Vittoria サンタ・マリア・デッラヴィットリア教会に
行きたかったのが、選んだ一番の理由。
スペイン広場・トレヴィの泉にも、歩けるくらいの距離だし・・



 バスルームはいたってフツー。アメニティーも特徴はナシ。
毎回思うのだが、バスタブに付いてるガラスの仕切りは
何の役にも立たない・・古めのホテルには必ずコレがついているが、
周りが水浸しにならないよう、コッチが気を使ってしまう。


夜のヴェネト通りを散策。通りが広く、並木道でカフェやリストランテの
テラス席が沢山並んでいる、この雰囲気が好き。
この近くに、キレイな書店があり、夜遅くまで開いているので、
つい寄ってしまう。料理本や写真集など、何冊か購入した。

地元の人たちも居るけれど、やはり外国人観光客が多いかな。
通り沿いにある、飲食店のメニューはどれも観光客向けの金額だ。
 


  部屋は通りに面した上階。向かいはアメリカ大使館の建物。
その左側、交差点の角に立つ建物は、ROMEでも歴史のある、
高級ホテルのひとつウェスティン・エクセルシオール。

1階の通りに面した場所にある、ラウンジらしきコーナー。
宿泊客が多くないのか、人は誰も居ない。
朝食のレストランでも、あまり人を見かけない。






朝食の内容は、ホテルの金額と付いている星の数からすれば、
ちょっと残念に思う。種類が少ないワケではないが、ワクワクしない・・

食事をしているゲストも居ないので、若いスタッフ達は完全にダレきっている・・
翌日は、年配のマネージャーらしき人がおり、昨日の若者達も
真面目に仕事をしていた。というか、させられていた。
昨日はマネージャー休みだったのね・・



通りにあるテントは、夜になるとオープンカフェに早変わり。
軽い飲み物2杯で18€した。高い!








  


2007年11月04日

フィレンツェのホテルの朝食

最近シリーズで書いてるホテルの朝食ページ。

続いてはFIRENZE フィレンツェ

ホテルはSTARHOTELS MICHELANGELO

St.マリア・ノヴェッラ中央駅の少し西側、シニョリーア広場からはアルノ川づたいに15~20分ほど歩いてヴィットリア橋の近くに位置するホテル。設備も整い洗練された、現代的なアメリカンタイプ。

部屋もバスルームも広くて気持ちがイイ。

 

  






朝食はホテルの雰囲気のワリに、少し種類が少ないかな?と感じた。とは言ってもちゃんと温かい料理もあります。


他のホテルが良すぎるのかも知れないけど。 

大体フルーツはどこもこんなカンジで無造作に置かれている。食べやすく剥かれているのは、缶詰のシロップ漬けのもの。しかも1個がデカい。缶から出したそのまんまだろ!? だ。
ハムやサラミもスライスされたモノもあれば、塊のままナイフと一緒にドンッと置いてあり、好きなように自分でやって・・・てなカンジの所もある。

大小のナイフが木製のカッティングボードにグサッと刺して立ってたりするからスゴイ。日本のホテルじゃ、むき出しのナイフを料理台の上に何本も転がしておくなんて、ありえんな。

でもそんなトコロが好き。

レストランのフタッフは若い人達が多く、今風の若者のような雰囲気もあり、ひと通りの仕事はするけど、気の効くサービスマンというほどではない。年配のベテランの人が1人居るだけでも、雰囲気が違ったりすることもあるのにね。










前日はベネツィアでも歴史ある、総督の宮殿跡を改装したホテルだったこともあり、少し安心感もありました。廊下を歩くたびに床がギシギシ鳴らないし、ドアノブを持ち上げながら鍵を回して開けるコツもいらないし・・・












 

    


2007年10月11日

ベネツィアのホテルの朝食

前回につづき、今度はベネツィアのホテルについて書いてみる。

場所はサンマルコ広場から歩いて4~5分の所にある、HOTEL STURNIA & INTERNATIONAL VENEZIA (サトゥルニア インターナショナル)

以前は貴族のお屋敷だったようで、数百年の歴史がある建物らしい。

つまり古い家を改造してホテルにしたので、廊下や建物全体のつくりが細かく迷路のようになっている。
一応エレベーターも付いていたが、かなり年季の入ったカンジで怖くて乗れなかった・・・

朝食の内容は、生ハムなどハム類が豊富なアメリカンブレックファーストといったカンジか。ジュースは何種類かあるのに、どこのホテルもそうだけど可愛いビンに入ったジュースも置いてある。ココは種類も豊富だった。

フロントスタッフはフレンドリーで良かったが、レストランの人たちはフツウな対応だった・・・フロントロビーには、このホテルのポスターカレンダーが年代順に沢山貼られている。とても可愛いので、一枚売ってもらえないかと頼んでみたら、もう年末にも近いからと無料で頂いてしまった!今も我が家のキッチンに貼られています。


ヴェネツィア本島内の建物は密集しているうえに、建物も古いので大きな窓で開放的な空間というのが少ない。大きな運河に面した部屋ならとてもイイ眺めになるハズだが、大体そんな場所は高級ホテルが占めている。

この写真だってディナーに撮ったものじゃありませんよ。これでも朝なんです。


立地条件は良いので、食事や散歩に出かけるには便利な場所だった。リアルト橋までは少し歩く事になるが、夜のサンマルコ広場はとてもキレイなので、あそこに近い方が夜間歩くにはイイと思う。

ベネツィアに滞在するなら本島内のホテルに泊まるべきだと思う。リーズナブルなツアーだと、昼間に観光だけして夜は本土側のホテルになってしまうことが多い。

朝や夜の空いた時間に散歩してみるとこの街の魅力を味わえると思います。
部屋からの眺め(建物の裏側ということ・・・)⇒



個人旅行で宿を自分で指定するなら構わないが、ツアーなどで各都市を巡るような場合、基本的に泊まるホテルが指定できないもの。パンフレットを見ると大体この辺・・・という書き方がされている。豪華なツアーになれば、宿泊するホテルが最初から決まっていたりするけれども。

ホテルのランクはどこもこんなカンジで分けられており、一番豪華なデラックスタイプに始まり、Sクラス・Aクラス・スタンダードタイプのBクラスの4段階くらいになる。平均的な金額のツアーは、Aクラス~Bクラスのホテルになる。

クラスの違いは設備はもちろん、バスルームや食事に差が出てくる。部屋やバスルームも狭くなり、バスタブの無いものもかなりある。向こうの人たちは、朝食をあまり沢山食べない習慣もあるようで、そういったクラスでは朝食も簡単になってしまう。ドリンクとパンが数種類とか・・・

観光がメインで、ホテルは寝るだけの施設と割り切れるなら十分だと思うが、ソレも旅の楽しみと思う人には物足りないかもしれない。
        


2007年09月29日

ミラノのホテルの朝食

私が書いた記事の中で、ホテルに関する記事のPVがダントツに良い。

ならばイタリアのホテルでも高いPVはあるのか? ホテルの朝食について数回に渡って書いてみる。

今回はミラノ編

ホテルはATHAHOTEL Executive

都心の中心部辺りにあり、交通機関の便が良い所。目の前には地下鉄の駅もある。夜に近所を少し徘徊してみたが、オシャレなナイトスポットというのか、そんな人達で賑わう店が並ぶ一角があった。ポルシェやBMW・メルセデスに乗ったちょいワルが夜の街を流していた。




ホテルは4つ星クラスなので、部屋も広くゆったりしている、カードキーのドアロックが開かなかったのはご愛嬌といったところか・・・


日本では最近ちょっとしたビジネスホテルでも、液晶テレビを設置しているこの頃なので、向こうで目にするブラウン管の、黒くて妙に大きなテレビに違和感を感じてしまう。  














  





正直、朝食にはさほど期待はしていなかったが、レストランに入ってみてチョットびっくり。こんな沢山の料理が並んでいるの?!

簡単に済ませられればイイヤと思っていたので、もっと早めに来てゆっくり食事するべきだったと、少し後悔。

モッツァレラとハムが旨い。そして甘々のブリオッシュ。



朝からデザートも沢山並んでいる! 時間が無いのでティラミスと微妙な味のプリンだけ。ブリオッシュもそうだが、日本で食べ慣れているカスタードとはチョット味が違うのだ。独特の味なんだナ

どこもそうだが、朝のカプチーノが美味しい。

フロントスタッフに比べ、レストランスタッフの対応がきちんとして良かった印象があるが、これはめずらしいコトだ。



 ミラノも大きな街ではあるが、ローマほどではない。でもバシッときめたカッコいい、本物のちょいワルを多く見かけたのはミラノだった。

極太チョークストライプスーツに爬虫類革のブーツ、天パの長髪をオールバックに極デカのサングラス・派手めのポケットチーフに、咥えタバコで闊歩しいる姿は、
「こんなの雑誌でしか見たこと無いよ!」だ。









  


2007年09月11日

さよなら Pavarotti

9月6日の早朝に亡くなったLuciano Pavarotti 
ルチアーノ・パヴァロッティ  享年71歳


出演するオペラは確実に満席になり、大規模な屋外やアリーナコンサートを行えば数万人の聴衆が集まる、まさにオペラ界のスーパースター。

イタリアはモデナ生まれ。オペラが好きな両親の勧めもあって、幼少の頃から教室に通いオペラ歌手を目指す。デビューしたのは20代になってからで、才能に恵まれた、というよりも努力によって開花した、どちらかというと遅咲きのオペラ歌手だったのではないだろうか。

ベル・カント唱法と張りのある高音と声量で、難しい高音も難なく歌い上げ、神から祝福された声「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」といわれた。


世界3大テノール歌手として、プラシド・ドミンゴ ホセ・カレーラスと共に世界中のファンを魅了した。パヴァロッティだけが、唯一イタリア出身の歌手であり、それはイタリアの空のような甘く明るい歌声だった。

最後に公式の場に登場したのは、2006年2月のトリノ冬季オリンピックの開会式で「Turandot 誰も寝てはならぬ」を歌い華を添えた。


8日にモデナの大聖堂で行われた葬儀には、イタリア・プローディ首相・アナン国連事務総長らが駆けつけ、早朝から長い列ができ約10万人が弔意に訪れたともいう。

公私共に何かと話題の尽きない人物ではあったが、歴史に名を残すオペラ歌手であった事に違いは無い。


遅ればせながらご冥福を祈りたい。





  


2007年09月04日

REGATA STORICAが見たい

最近、やたら食べ物ばかりの記事でナンだかなぁ・・・
という気分になった。

お盆も終わってもう9月・・・

9月といえば、大好きなヴェネツィアでRegata Storica(レガータ・ストリカ)が第1週目の日曜日にある。
2月に行われるカルナヴァーレも大きなお祭りだが、ボート競技の「レガッタ」の語源にもなった、海の上の共和国ヴェネツィアならではの大きなイベント。

ヴェネツィア共和国1000年の栄華を垣間見るような、海上パレードに当時の様々なゴンドラを模した船でのレース。

今は便利な世の中になったもので、ネットを通じて世界中の生の映像を見ることができる。ヴェネツィアにも定点カメラが置いてあって、このお祭りの様子を垣間見る事もできる。

ただし、動画ではないから2~3分おきの静止画像を見るだけですが・・・















沢山の人で賑わうヴェネツィアもいいけど、シーズンをハズしたひっそりとした静かな街の佇まいを味わうのも魅力がある。元々クルマは走っていないから静かなんだけど、朝・夕の人もまばらな時間帯に散歩などしてみるとナンだかジ~ンときてしまう・・・

塩野七生氏の本ばかり読んでいるせいかな?





観光の目玉でもあるゴンドラ遊覧も、あえて人の少ない静かなルートを廻ってみたりしたら運河から見る街の風景も格別ですヨ。

観光客の一団のために、ゴンドリエ(船の漕ぎ手さん)が歌を歌ってたりして、お客さんも大喜びしてたりする光景も多いけれど、サンタルチアとかナポリ民謡だったりするんだよね。ゴンドリエも仕事とはいえ、フクザツだろうなぁ・・・





 

  


2007年07月23日

Fra Angelico フラ・アンジェリコ

前回 フィレンツェとマザッチョのことを書いた流れから、この大画家を書かずにしてはいられない。
ワタシが敬愛してやまない画家のひとり。

訪れた人を魅了してやまない、街そのものが美術館と言われるフィレンツェ。見所は数あれどやはり、その歴史と収蔵品の数からMUSEO di UFFIZI(ウフィツィ美術館)を於いて他ならない。
確かにその通りで、1日見学していても足りないほど。でもFIRENZEに行ったならば、必ず足を運びたい場所がある。


UFFIZIやDUOMOの喧騒からやや外れた場所にあり、通り掛かりで偶然見学するような人はまずいないだろうな、といった赴きのサン・マルコ美術館。
美術館とは言うが、ドメニコ修道会のサン・マルコ修道院である。何世紀にも渡り、厳格な義務であった祈祷と勉学に捧げた修道士たちの寄宿舎であり、国立美術館となった現在も一部は修道士たちが使用し、管轄外となっている。

そのサン・マルコ美術館、最大の財産はベアト・アンジェリコ。またの名をフラ・アンジェリコとも。

Fra Angelico フラ・アンジェリコ。本名はグィード・ディ・ピエトロだが、敬虔な修道士でもあり天使のような画僧とよばれたことから、彼の死後この名が付いた。
初期ルネサンス・フィレンツェ派の代表格。ゴシック絵画の流れを汲みながら、同じ初期ルネサンスを代表する芸術家のひとり、マザッチョの作品から遠近法や三次元的空間描写を学び、鮮やかで豊かな色彩、独自の画法を確立する。

ドミニコ会修道士でもあるため、作品は宗教的な主題に限られている。フィレンツェの支配者でもあったコジモ・ディ・メディチは、フィリッポ・リッピとともにお抱え画家とした。1982年には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって正式に福者に列せられた。

 

私の大好きな作品「受胎告知」1438-1445頃 

「受胎告知」とは新約聖書に書かれているエピソードのひとつ、神からの使い大天使ガブリエルがマリアのもとに訪れます。
そして福音書では有名な文言・・・「恵まれた女よ、おめでとう。主があなたと共におられます。」「恐れるな、マリアよ。あなたは神からの恵みをいただいているのです。・・・その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり・・・」という場面を描いた作品。
受胎告知は多くの画家に描かれている宗教主題であり、フラ・アンジェリコも同じ主題でいくつもの作品を残しています。
その中でも私の№1は、フィレンツェはサン・マルコ修道院の2階階段にあるフレスコ壁画。

独特の光に満ちた表現、当時のフィレンツェの建築様式の導入、厳格な空間配置に透視図法といった、新しい時代の到来を告げる3要素が集約された作品。簡潔な構成、抑えられた動きに優しい表情、他の作品に比べ彩色も抑えられ、装飾的要素も省いてしまうことで、精神的な内面に意識を集中することになる。




遠近法を用いられているが、2人の対比バランスが少しとれていないように感じる。しかし、実物は階段の踊り場にあるため、下から上がってきて見上げるようなカタチになる。すると、構図・色使い・バランスと言ったことよりも、この場所で、この目線から見ることに意味があるのではないかと、より真摯に敬虔な気持ちで作品を見ることができるであろう。

2階には40室にもなる僧房と言われる寄宿舎があり、最初に完成した20室の僧房の壁に、アンジェリコ自身がキリストの生涯をテーマにしたフレスコ画を描いた。


小さな窓がひとつあるだけの狭い僧房の中で、修道士達が瞑想のためにと描かれたフレスコ画は、簡潔で抑えられた色調、精神性に満ちた作品ばかりである。この僧房にも同じテーマ「受胎告知」が描かれているが、簡素化され天使と聖母の無言の対話を表現した作品で、こちらも大変素晴らしい。

560年も昔に、実際に彼がこの場所で、絵筆を走らせたのだ。画集を100回見るよりも、実際にこの目で実物を見ることが100倍素晴らしく感動もある。と実感する作品。



 

  


2007年07月20日

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局


以前、東京では青山にしか代理店がなかったのですが、最近では販売店も増え購入には便利になったが、あまりアチコチで見かけるのも少し寂しい気もする。
先日東京に行った際に、新丸ビルの中にもショップができたので、ウチの奥様が香水を求め、立ち寄りました。
彼女のこだわりとしてオーデコロンではすぐに香りが消えてしまうため、香水でなければならないらしい。しかし、購入する人が少ないらしいのか、店頭にストックされていない場合が多いらしい。何箇所もあたってみたが、どこも扱っていない、とぼやく・・ここでもそうだった。
どこのショップも販売員の方々のぎこちない接客が印象的だった・・・
新丸ビル店



サンタマリア・ノヴェッラ教会を運営するドミニコ修道会の教義、
癒しの実践として修道士達により、薬剤や軟膏・鎮痛剤などを
調合してきた。設立は1221年の
「Officina Profumo Farmaceutica di Santa Maria Novella」
が起源になる世界最古の薬局になる。




薬局としての正式な創業は1612年になるが、1500年には
フィレンツェの支配者でもあった、メディチ家のカトリーヌ・デ・メディチ
のために処方された香水やオーデコロンは、今も変わらぬ処方箋で
製造されている。18世紀頃にはその品質の高さから、
世界中から注文が集まり名声を高めていった。




S.M.N(サンタ・マリア・ノヴェッラ)広場からスカラ通りを7~80m行ったところ、
あまり広くない歩道にトラットリアのテラス席があり、
その横に入り口があります。通りにFARMACIA(薬局)の
緑色のネオンがあるので、それが目印になります。

建物内に入り、入り口に近づくにつれ独特の香りが漂う、
中世から続いていただろう、その店内に漂う、包み込む香りは
決して忘れることが出来ない。フィレンツェ周辺の丘から採れる天然の花や
ハーブから作られるポプリをテラコッタの壺で長期熟成されたものだとか。
800年経った今も、天然栽培の草花・天然油脂などの
最高品質の原料で製品を作り続けている。






写真の丸い容器は、ミントキャンディー。
今風の刺激の強いミント味ではなくて、穏やかで
奥深いハーブの香り漂うクラッシックな味わい。
手ごろな金額で、いくつもお土産が必要な時は便利かも。

ロザリオはROME、ヴァチカン美術館でつい勢いで買ってしまったモノ。



素焼きのテラコッタにポプリを詰めた可愛い商品もあるが、
ナカナカの金額。フィレンツェの本店で買った方が、
日本で買うよりももちろん安いが、いつも行ける距離じゃないよネ・・
いつも行きたいヨ~!アルメニア紙はお手頃な価格で、
バッグの中などに持ち歩きもできて、いつでもあの記憶を
呼び覚ます香りを楽しめるので、私の好きな商品です。  




 
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2007年03月19日

カフェ&バール②

前回の続きを・・
自己流カフェ マッキアート・ダブルをすすりながらの書き込み中。

マキアート Macchiatoとは「染みをつける」という意味で、エスプレッソに泡立てたフォームミルクをひと垂らし、でマキアートなワケです。砂糖を多めに入れて、甘めだけど苦味とコクのあるカンジ。自分の一番のお気に入りの飲み方。

イタリア人は朝から一日中エスプレッソを飲んでいそうな印象だけど、ちゃんと時間で飲み分けをしている。
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