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2009年08月07日

Raffaello Sanzio ラファエロ・サンツィオ


8月6日、広島平和記念日として
広く知られているかもしれない。が・・・

しかし、今回はワタシが愛してやまない、
盛期ルネサンス三大巨匠の一人
Raffaello Sanzioを書きたい。


8月6日、イタリアでは「主の変容の祝日」となっている。
新約聖書、マタイ・マルコ・ルカの福音書に記されている物語。


イエスが弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴い高い山に登った。
(ペトロは12人いる弟子のなかのリーダー的存在で、
初代ローマ教皇にあたる。ペトロの墓があったとされる場所に
ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂が建っている)

彼等の目の前でイエスの姿が変わり、顔は日のように輝き、
衣は光のように白くなった。
そこへモーセ、エリアが現れ、来たるべき受難について語り合った。

モーセは「十戒」でよく知られた、神が約束したカナンの地へ
イスラエルの民を導いた指導者。エリヤはイスラエル初期の預言者。



西洋絵画の古典として、後世の画家に多大な影響を与えた
ラファエロ・サンツィオにも、その物語を題材にした作品がある。


イエスが神の子であることを、天の声より告げられ
地上にひれ伏す弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)と
悪魔に取り憑かれた少年を、弟子達には治すことができず、
イエスがあらわれ、悪魔を追い払い治癒したという、
物語の場面を上下2場面構成となっている。

上部は光り輝くイエスを繊細優美で神秘的に描き
下部の弟子達を激しい感情のうねりとした群像で描き
静と動、明と暗の対比による構図で表現している。
やがて来るべきバロック様式への挑みのようにも感じる。
Raffaello Sanzio ラファエロ・サンツィオ
1518~1520 
Trasfigurazione キリストの変容

Raffaello Sanzio ラファエロ・サンツィオ

イタリア中部のウルビーノ生まれ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ
盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。
聖母の画家としての異名を持つ、聖母マリアと
幼子イエスを描いた作品が特に有名。

詩人画家の父から絵の手ほどきを受け、父の死後17歳頃に
ウンブリア州ペルージアに出て、ピエトロ・ペルジーノに師事した。

その後21歳の若さで独立、フィレンツェにやってきたラファエロ。
そのときダ・ヴィンチは29歳、ミケランジェロは52歳。
フィレンツェでの4年間はフィレンツェ派画家たちの影響を受け
聖母子像や肖像画が多く描かれた。

ペルージアでの修行時代から画家としての才能は飛び抜けており、
フィレンツェでの有意義な滞在を送った後、教皇ユリウス2世から
ローマに呼ばれ、25歳から死去する37歳まで
ヴァティカンの宮廷画家として栄華を極めて行くことになる。

ローマでの代表作は、ヴァティカーノ宮において、
天井画をはじめ多くの壁画を制作する。

ヴァティカン美術館の「署名の間 アテネの学堂」などは
システィーナ礼拝堂に次ぐ見所のひとつになっている。
上記の「キリストの変容」もピナコテカ(絵画館)に収蔵されている。

その後、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命、
ローマ古物監督責任者に推挙されるなど、
芸術家としては異例の富と権力を手にしたが、
1520年、誕生日でもある4月6日、37歳の若さで亡くなった。

「Trasfigurazione キリストの変容」は遺作となる。

ダン・ブラウン著「天使と悪魔」のなかでも登場したが、
古代ローマの神殿、パンテオンに墓がある。









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